完璧と甘美★マイケル・レーピン グーセンス指揮フィルハーモニア管 パガニーニ&ヴィニャフスキー・ヴァイオリン協奏曲

【通販レコードのご案内】エネルギッシュな演奏を堪能できる本物のヴォルトーゾ

《RAINBOW英国再発、180g重量盤》GB EMI(TESTAMENT) SP8534 マイケル・レーピン、グーセンス、フィルハーモニア管 パガニーニ&ヴィニャフスキー・ヴァイオリン協奏曲

希有な才能を持ち、36歳で不遇の死を遂げたヴァイオリニスト、マイケル・レビン(1936年5月2日〜1972年1月19日)は驚嘆すべきテクニックでもってかなりの技巧を要する難曲をバリバリと弾きこなす一方で、独特の美しい音色で聴く者の心を酔わせる情感をも持ち合わせたヴァイオリニストでした。  アメリカ生まれの神童の登場だった。1936年ニューヨーク生まれ。音楽一家に生まれたレビンは幼少よりその才能を開花させました。9歳の時にリサイタルを開きデビューし、12歳でパガニーニの《無伴奏ヴァイオリンのためのカプリース》を録音した。

ニューヨーク・フィルのヴァイオリン奏者の父、ジュリアードのピアノ教師の母の元に生まれたレビンは、早熟の天才として9歳からジュリアード音楽学校で名教師ガラミアンに師事し「瑕疵のない、生まれついての完璧なヴァイオリニスト」と認められた、ただ一人の門人であった。14歳の時にはカーネギー・ホール・デビューを飾り大成功を収めました。早熟なヴィルトゥオーソぶりは少年期のメニューインを彷彿とさせ、細かく繊細なヴィブラートと驚異的な音程の良さ、そして自由自在なボーイングは、ハイフェッツの再来とも言われた技巧とデイヴィッド・オイストラフの甘美な音色を持ち合わせたヴァイオリニストと申せましょう。10代半ばにして米 COLUMBIA に3枚の LP を録音、18歳から6年間にわたり米キャピタル社と専属契約、数々の名演奏を残しています。その音色を聴けば、きっと忘れられないでしょう。

彼は、ハイフェッツを崇拝していたらしいが、録音からもその完成された演奏技巧を聴きとることができる、本物のヴォルトーゾ。迷いの無い艶のある音色が、天才少年の名を欲しいままにした自信と希望に溢れた圧倒的なテクニックで展開されます。後年精神病にかかったなんて嘘の様。美音とエネルギッシュな演奏が堪能できる1枚です。

通販レコード詳細・コンディション、価格

プロダクト

レコード番号SP8534作曲家ニコロ・パガニーニ ヘンリク・ヴィエニャフスキ演奏者マイケル・レービンオーケストラフィルハーモニア管弦楽団指揮者ユージン・グーセンス録音種別STEREORAINBOW英国再発, STEREO 1枚組(180g)重量盤, オリジナルは1960年リリース・本盤は1990年代前半リリース。

GB EMI(TESTAMENT)  SP8534 レビン・グーセン…
GB EMI(TESTAMENT)  SP8534 レビン・グーセン…

コンディション

ジャケット状態Mレコード状態M製盤国GB(イギリス)盤
英国テスタメント180g重量盤も発売から早30年近く経過しました。今聴きなおしてみると以外にも録音秀逸なのを再認識しました。

通販レコード

詳細の確認、購入手続きは品番のリンクから行えます。

オーダーは品番 / 34-23388
販売価格¥8,000(税別)

キャピトルと契約した時には、レビンはすでにその親会社である英 EMI に5枚のアルバムを完成させていた。キャピトルへの移籍は、他の2つの変化と同時だった。すなわち、ステレオ録音の導入と新しいヴァイオリンの入手である。1952年からレビンは非常に製作本数が少ないグァルネリ・デル・ジェスと信じられていたヴァイオリンを使っていた。レビンが売却したかなり後に、この楽器はグァルネリの弟子の作であることが判明する。
 レビンはパガニーニとグラズノフのカップリングではじまった英 EMI への、すべてのレコーディングをこの楽器で演奏した。どの様なヴァイオリンからでも世にも美しい音色を引き出すことができたレビンだが、良いヴァイオリンを渇望し続けていた。1958年になって、やっと親友のルイス・カプランに以下のような誇らしげな手紙を書いている。
「4日前の時点で、私はついに1735年製作のヨーゼフ・グァルネリ(デル・ジェス)を所有することになった。このヴァイオリンは見た目もいいし、デル・ジェスでしか出せない音がする。力強さと美しさを両立させることができる。この楽器は以前、有名なヴァイオリニスト、ヤン・クーベリックが所持していたものだ。」
 本物のデル・ジェスを入手して1カ月もしないうちに、レビンはキャピトルに彼の代表作、パガニーニの24のカプリースを完成させるのである。
 期待が強すぎたか、マスメディアの悪い影響は現代と違わないものだったのか。それとも、次々と話題のアーティストが登場する時代でもあったことが焦りとなったのか。その後、薬物中毒などを経て、1972年に自宅で転倒しそれが原因で急死した。
 偉大なる芸術はその芸術を生み出した者より長く生きるという自明の理は、レビンの死後になってやっと裏付けられた。不幸な結果に終わってしまった人生を、それでも喜んで讃えているかのような音楽に陶酔するレビンの眼差しが見える生々しい音となってレコード盤に針を落とせば今でも響いてきます。

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